春の日差しが徐々に強まり、辺りに桃色の優しい色どりが心を和ませる季節。

は前川邸の主の遣いとして貴船山を訪れていた。



前川邸とは、新選組が上洛した際、八木家に世話になることとなったのだが、
隊士の人数が思ったより多く一建では手狭であったことと、
出身の違いから芹沢派と近藤派に分かれ、度々諍いが起きるため、
八木家からほど近い前川家の厚意により近藤派の隊士が分宿する事になった家である。
前川邸の位置する壬生から、用のある貴船まではかなり遠く、主が遠出を渋っている様子を見たは、
普段世話になっている礼に、と遣いの代理を買って出たのだった。





「春とはいえ、結構歩いたからかな。暑いかも…」


遣いを終えたは、うっすら汗ばんだ額を拭いながら、貴船川沿いを歩き始めた。
その時、向かいから数人の娘たちが、何やら楽しそうに声を弾ませながら歩いてきた。
年はと同じ位の様だ。



「貴船の神様はそんなに凄いん?」

「凄いなんてもんやあらへん」

「うちの斜め向かいの姉さんも、想いが通じたんやて!」




………想いが通じる?




その言葉に惹かれ、すれ違い様には耳を欹てた。


「あそこの草で輪を結わえてな、お社にお供えするんやて」
「うちの想いも通じるやろか?」





なんて可愛らしいんだろう。


そう感じつつも、もふとその神社へと向かってみたい、と思ってしまった。
まだ昼時。
今から向かったとしても、日暮れ前には壬生へ戻れる。
は来た道を引き返し、その娘たちの後を追うように、貴船神社へと向かった。


山の中を進むと、石畳の階段が表れた。
木陰でひんやりとした空気が心地いい。
階段をしばし進むと、その先に境内が見えてきた。

は辺りを見回し、少し幹の太い木の陰に身を隠し、娘たちの様子を見守っていた。
娘たちは草を摘むと、器用に輪を結わえ、社の下へそっと置き、思い思いに手を合わせる。
祈り終わると、娘たちは石畳を降りて行った。




「へぇ……」




木陰から身を現したは、ゆっくりと社に近づくとしゃがみ込んだ。
供えられた草の輪を、羨ましそうに眺める。


恋のまじないの話を聞いてから、の脳裏には一人の隊士の姿が浮かんでいた。
上洛して間もなく、攘夷の同志を討つ事に心を痛めていた男を。
いつの間にか気になる存在になり、彼が塾を開きその手伝いをするようになってから、
その思いは憧れとは違うものへと変わりつつあった。



本当に叶うのだろうか。



は草を摘むと、それで輪を結わえた。
剣の道を志しながら、不謹慎な願いであろうか。
そう思いながらも、これからも傍らに居る事が出来たら、という願いは拭えない。


「願うだけなら、迷惑はかからない…よね?」


そう呟くと、草の輪を社の下に供え、手を合わせると、そっと目を閉じた。


傍に居られるだけで構わない。
想いは通じなくとも。



ゆっくりと目を開け、社に頭を下げ、立ち上がろうとした時に、背後から声をかけられた。




「あれ?君?」




驚いて振り向くと、そこにはつい今し方まで脳裏に思い浮かべていた男の姿があった。

「山南さん!?どうしてここに…?」

「折角の非番だから桜を愛でようかと思って、貴船山に来てたんだ。君こそどうしてこんな所まで?」

「私は、前川さんの遣いで、この近くに来たので、折角だからと立ち寄ってみたんです。」

思いもよらない場所で山南に会え嬉しく思うと同時に、
もしや今し方のまじないを見られたのではないかと思うと、動揺を隠せなかった。


「どうかした?」
「いっ……いえ、何でもありません!」
慌てては頭を振る。


「折角だから参拝していこうかな。君は?」
「では私も!」

が先程まで祈りを捧げていた社を背に、本殿の前で二人並び手を合わせた。








どうかこの先、この人の笑顔が曇らぬよう…




祈りながら、は横目で山南の顔を窺った。
穏やかな彼の心に、波風を立てるような出来事が起きたら、今度こそ少しでも、それを取り除きたい。
せめて彼の心の痛みを僅かでも和らげる事ができれば…
そう貴船の神に祈る。


祈り終えて瞼を開くと、山南がこちらを見て微笑んでいた。

「随分と熱心にお願いしていたね」
「ええ、まぁ…」

本人を前にして気恥ずかしいは、曖昧に返事をしたのだが。



「そこまで君に想ってもらえる御仁が羨ましいよ」


「……………えっ!?」



心を見透かされているかのような山南の言葉に、流石に動揺を隠しきれなかったは、声が裏返ってしまった。
「何を仰ってるんですか!?」
誤魔化そうと作り笑いをしてみるものの、
それが無駄だと知らせたのは、次に山南の口からついて出た言葉だった。



「ここの神社は恋のまじないで有名らしいね。この界隈の人に話を聞けば、必ずと言って良い程その話が出てくるよ。
ちょうど先程君が居たあの社で、まじないをするらしいね。」
「み…見てたんですか?」
「覗くつもりではなかったんだけど、境内に来たら、君が周りを窺いながら社に近づいて行くから、ちょっと気になって…ね。」



まじないの事を知っている山南に、その行為を見られていたとなれば、最早弁解の余地はなかった。




「不謹慎……ですよね。」
「いや、私は別に恋をするのが悪いことだとは思わないよ。ただ………」
「……………?」




「君の心を独占できる男は誰なのだろう…と、少々妬けてしまうけどね。」


「…………え?」




聞き間違いだろうか。
は事態を整理するのに暫し時間を要した。

山南が妬くということは…つまり………



「えぇっ!?」



境内に響き渡るほどの声を上げ、は驚いた。
これには流石の山南も、驚いたようである。

「そんなに驚く事かい?」

を優しい眼差しで見つめ、苦笑する。



「どうして山南さんが妬く必要なんてあるんですか。私が想っているのは………」
そこまで告げると、は恥ずかしさのあまり、山南から視線をそらした。
蚊の鳴くような声で、ぽつりと呟く。

「…………山南さんなのに……」











暫し静寂が訪れた。
静けさに耐えられなくなったは、不安そうに視線を山南に戻す。
山南は、信じられないといった表情で、を見つめていた。



「参ったな。貴船の神様は、本当に御利益があるらしい」



気恥ずかしそうに笑うと、手を伸ばし、そっとを引き寄せ、腕の中へと包み込んだ。


「君と色々話をするようになってから、ずっと思っていたんだ。誰にも渡したくない…と。」

早鐘の様に響く山南の鼓動が、妙に心地いい。

「私の攘夷論に耳を傾け、時には私の代わりに涙を流してくれる。あの屯所の中で唯一安らげる場所だと思ったんだ。」







その時心の中を吹き抜けるが如く、爽やかな風が境内を駆け抜け、辺り一面に桃色の花弁が舞った。
まるで二人の想いを祝福しているかの様に。










あとがき

もともとは、姉御組!!!さまの恋華アンソロジー「空に咲く華」に寄港する予定で
描き進めていたネタでした。
…が、ネームを描けども描けども、ページの割に話が進まない。
これは、既定の10Pでは、起承転結の起で終わってしまうのではないか!!
…ということで、泣く泣く諦め、別の短編ネタに切り替え、そのままこの話はお蔵入り。
年末に部屋を整理していて、そのネームを発見し、サイトに掲載するに至りました。
貴船神社の言い伝えを、そのまま利用する形となったこの話ですが、
幕末からあった言い伝えなのかどうかは定かではありません。
少しお題の「誠」の流れを汲んでいます。



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